フライパン放浪記

takedahrs / Pixabay

フライパンには、正直なところけっこう苦しんできました。

安いテフロン加工のものを買って使っていると、わりとすぐに表面加工がハゲてきます。そうすると、とたんに焦げつくようになるのですね。すいすい炒めものができてたものが、突然焦げつき専門フライパンに変貌するのだから始末におえません。

その結果、そのフライパンは捨てる以外にない。ゴミになっちゃうのです。フライパンの形してるのに、使えない。で、また買おうと思っても、ホームセンターには表面加工の商品しか売ってなかったりします。なにか業界の陰謀なんじゃないかと疑ってしまうくらいの構図になってます。

つきあってられん、ということで、ウチでは長いこと中華鍋だけを使っていました。ところが、中華鍋の底は丸くくぼんでいるために、目玉焼きがやりにくい。シロミの部分が広がらないのですね。

というわけでアマゾンに行きました。今やアマゾンにはなんでもあります。

それにしても、この会社の名前を考えた人のセンスは素晴らしいですね。たとえばアマゾンからパソコンを買うとします。

「あなたー、アマゾンからパソコンが届いたわよ」「そうか、アマゾンから届いたか・・・(感無量)

という会話が多くの家庭でなされます。なんとシュールな会話でしょう。その良し悪しは別にして、近代文明の権化であるようなものが、原始時代から連綿とその伝統を守り続けてきたところから届くわけです。このウイットというかアイロニーというか、ユーモア。降参ですね。こんなにセンスのいいネーミングはめったにありません。

名前を考えるときには、その対象に欠けているものをつけたがる傾向があります。子どもの名を考えるときは、親である自分に欠けているものを名前に託します。会社を設立するときは、その会社や自分がどういうふうになっていきたいのか、その理想像を名前に託します。今ここにないもの、つまり「欠けているもの」を名前として選ぶのです。

むかしぼくがフリーで広告の仕事をしていたときのこと。どうにも支払いが滞り、それが何度も続くものだから、もう二度と仕事をしないと決めた会社がありまして。ぼくとだけじゃなくて、いろんなところでそういうモンダイを起こしてる会社でした。その名前が「Faith」、つまり「信頼・誠実」。ああ、やっぱり、一番自分たちに欠けてるものを名前にしたんだな、と納得した次第。

たとえばカットのお店で「アート○○」という名前がついてる場合はきっと、自分たちにはアートな要素が欠けてるんだという認識があるんだと思います。古いところでは「おしゃれ○○」というのもきっとこのパターンですね。

・・・フライパンの話でした。

で、アマゾンから1年前買ったのがこちら↓

ずっしりと重く、ウチで使ってる直径30センチの中華鍋より重いです。野菜炒めのときのように

振りまわすみたいにして調理するのは、女性の片手では無理っぽい

です。そういうふうに使いたいのならもうひと回り小さいラインナップにするといいでしょう。

一年通して使ってますが、これ、かなりいいです。分厚い鉄製なので熱効率が良く、目玉焼きがちゃんとできます。表面は透明シリコン焼付塗装されているということですが、一年でだいぶハゲてきました。でもなんのモンダイもなく、焦げつきやすくなったりということはありません。

こんな調子なので、一生使えるかもしれない気がしています。

ぼくは野菜炒めやラーメンスープのための炒めは今までどおり中華鍋でやってますが、目玉焼きやオムレツなんかはもっぱらこちらを使うようになりました。このフライパンは底が平らなので、くるくるまとめる料理やヘラではがすような料理が得意です。

この鉄製のフライパンを使ってみたら、同じ鉄製の中華鍋の素晴らしさを再認識してしまいました。軽い、のですね。中華鍋は。鍋を片手で持ってゆするのには底が丸いほうがいいし、深さがあるていどないと炒めた具材がこぼれてしまう。そこそこ軽くないと腕が疲れてしまいます。

つまり、中華鍋はバランスがいいのです。汁を扱うこともできるし炒めものも蒸し物もできるこの鍋は、やっぱり鍋のスタンダード。がばいばあちゃんの言うとおり、とりあえずこれ一個あればなんとかなるのです。

保存

保存