棒に当たった犬、その後

棒に当たった犬、その後

川で鱒を狙う釣りは、歩く釣りだ。

「夏の山女魚は足で釣る」という格言がある(それくらい釣れない)が、野生虹鱒の場合も当てはまる。

竿ではなく、足をたくさん使う。この場合の「足」とは、「自分の脚」であり、「クルマやバイクなどの移動手段」であり、「長い時間を釣りに当てること」である。たくさん足を使わないと、いい魚には出会えない。

当然といえば当然だが、「犬も歩けば棒に当たる」のである。当たった棒によっては、その犬のその後は大きく変わってしまう。あんな棒に当たらなければ、そんなことにはならなかったものを…

◇つれあいが釣った52センチの野生虹鱒。川から上がろうとしていたところで来た。直十(c)

ぼくはむかし、グラフィックデザインの会社をやっていたことがある。共同経営だが、ぼくが一番多く出資したので代表者ということになっていた。

ある年の5月の連休、桜鱒を釣りに行った。ぼくが住んでいた県では、遊漁証さえあれば桜鱒を川で釣って持ち帰ってもかまわないことになっていた。ちょうど桜鱒の釣りがブームになってきたころだったが、ぼくはそれまでこの魚を釣ったことがなかった。

寒空の下、ガンガンと波立つ瀬に、なにげなくスプーンを投げ入れた。すると。

ゴン…

という重いアタリがあり、経験したことないチカラでひっぱられた。そのとき使っていたタックルは、ブラックバス釣り用のベイトリールと短いワンピースの竿。ぼくは必死でリールを巻いた。

魚が寄ってきて、水中でギラギラと光った。銀色の座布団が水中にあるみたいだ。ドキドキした。

ネットに入れられる距離まで寄せたものの、魚が入りそうなランディングネットがない。というのは、ぼくは

(…どうせ釣れないだろう)

と思っていたので、フライフィッシングで使っている、30センチの魚がギリギリ入るくらいの大きさのネットしか持参してこなかったのだった。といっても、そんな大きなサイズのネットはそもそも持ってなかったのだが。

掛かっている魚は50センチはありそうだったから、どう工夫してもこのネットに入るはずがない。暴れまわる魚のアタマは入るのだが、カラダは入らない。

しまいにぼくは、両手で魚を岸に放り投げた……それは初めて見る、55センチの美しい桜鱒だった。カラダが震えていたのは寒空のせいだけではなかった。

それ以来ぼくは、週末のたびにこの川に通った。週末だけではなく、仕事のある平日の早朝にも通ったりもした。ぼくがやっていた会社の始業時刻は9時半だった(デザイン業界はたいていこんなもの)ので、4時に起きて川には6時前に立ち、8時には釣りをやめて会社に向かう。

ところが。

釣れないのだ。あの連休の奇跡以来、一尾も釣れない。何回通っても桜鱒は釣れてくれない。その年は雨が多く、週末のたびに雨で増水して釣りにならなかったということもある。平日に釣りをしても、どうにもこうにもタイミングが合わないのだ。

連休の桜鱒を思い出しては悶々とする日々が続いた。

ぼくは、釣りは魚や川の事情に合わせて行わなければ釣れないものだと知った。釣り人であるこちらの都合に合わせて、魚が釣れてくれるはずがない。よくわかった。

ぼくは翌年、会社をやめてフリーになった。会社をはじめる前もフリーでやっていたので、不安はあまりなかった。元に戻っただけのことだ。会社の経営権はほかのスタッフに売った。

これで、好きなときに釣りに行ける。

ところが。

釣れないのだ。タイミングをみはからって川に行っても、桜鱒は一尾もぼくの前に姿を現してはくれない。

どうしたんだ?

川の状況が、最初に桜鱒を釣った年にくらべて良くないほうに向かっているようだった。桜鱒ブームによって釣り人が増加→釣り場は荒れ果て→魚は釣れなくなる。

準備万端、いつでも来いの状態にするとなぜか期待はずれになることが多い。これは釣りに限ったことではなくて、なんでもそう。たとえば恋人と会うための部屋を借りると、とたんにその関係は終了する。大きなクーラーに氷を満タンにして海にでかけると一尾も釣れない。買った株は暴落する。

どうしてなんだ?

ぼくはあまりに釣れない桜鱒をあきらめて、フライで深山のイワナを追うようになってフライフィッシングを覚え、夏には長い休みをとって北海道の虹鱒を追いかけるようになっていった。その流れに乗りつづけたまま、いまのぼくは北海道に住んでいる。

犬も歩けば棒に当たる。大きい棒に当たった犬は、生き方を変えていく。ということは、歩きはじめないことには、なにも変わらないということ。

歩いていこう。道に終わりはない。

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