6月は魚の口にエサを運ぶ

6月は魚の口にエサを運ぶ

直十(c)★虹色の横顔

◇川の釣りシーズン

去年いい釣りをしたこの川が今年はどうなってるかな。期待と不安が入り混じりつつ、今年初めて竿を出す。

6月は、ロシアの釣り師のことわざに

6月は魚の口にエサを運ぶ

とあるとおり、当地北海道でも川の虹鱒釣りが本格的にシーズンを迎える時期だ。5月までは、ルアー【疑似餌】なら釣りになるのかもしれないけれど、ドライフライでの釣りはきびしい。

5月中はブヨ【黒くて小さな虫、刺されると大きく腫れて強烈にかゆい】がひどく多くて、落ち着いて川岸に立っていられない。大群で、偏光グラスと目の間に入ってきたりするので、まったく手に負えない。かなわない。この虫が6月になるとぐっと少なくなるので、そういう点でも6月がシーズン・インということになる。

6月になれば、雪解け水はやっとおさまり、川の水色がダークトーンになってきて、やっとイメージが湧いてくる。白っぽい雪解け水の川では釣れる気がしない。こんな水色では水温も低い(6度くらい)ので、転倒するとひどい目にあう。

これから夏のアブが多くなり始めるころまでが初夏のベストシーズンで、アブがいなくなる8月後半から10月アタマまでが秋のベストシーズン。【これは虹鱒狙いなら、ということであり、イトウと雨鱒なら春と冬らしい(ぼくはこの魚に詳しくないのですが)し、オショロコマなら春から晩夏、湖は一般的に春がベストのようです】

害虫の多いか少ないかは、川釣りを快適に楽しむためには非常に大きいポイントになってくる。虫よけをいくらこまめに塗ったところで、釣りは水を扱うものなので効き目はすぐに落ちてしまう。虫よけネットはジャマくさいし、前がよく見えない。

そんなわけで6月は、川が開く時期。緑が輝き、釣り人には希望があふれている。

何日か続いた低温【最低気温が5℃くらいで最高が8℃くらい】もようやくおさまり、気温は19度以上、空は青い。風もない。こんな日は、年に何度もない。

◇悲しいこと

その年最初の釣行でもっとも悲嘆にくれるのは、河川工事による川の直線化と護岸を見たとき。川底まで平らにならしてあるのが普通で、あれほど豊穣だったポイントはすべて消え、真新しいコンクリートの白さが目に痛い。当然、魚の影はなく、釣りをあきらめなくてはいけない。

いったんこうなると、もう二度とこの部分の川は復活しない。護岸が再びの大水で流されると、こんどは「災害復旧」という名目で何度でも工事が繰りかえされる。こうやって川は死んでいく。

そんな悲しさに何度出会っただろう。最近では中標津近辺の川が工事でトドメをさされている。もう、あのあたりの川で気持よく釣りができるのは1.2本くらいのもの。しかも、野生虹鱒の影は極端に薄い。

あなたが川釣り好きで、良い川に通いたくて本州から「移住」してきても、残念ながら、その川はいつ死んでもおかしくないということだ。それを事前に知ることはできない。

ぼくは昔、本気で中標津に引っ越そうと思っていた時期がある。あそこではいい釣りを何度も経験した。何度もでかけるんだったら、いっそのこと住んでしまうのがてっとり早い。そう思っていたのだけど、いろいろあって実現はしなかった。実現させていたら、中標津の川の徹底的な破壊にたいへんなショックを受けたことだろう。

直十(c)★きのうは午前中に45センチくらいの魚にフライをティペット【先糸】ごともっていかれ、午後に50センチくらいのに同じ目にあわされた。ティペットを8lb【「lb」は糸の強さの単位で、大きくなるほど強くなる】から10lbに変えてもあとのまつり。でも、魚の付き場がわかったので、あとは攻略法を練るばかり。楽しみです。

◇山と川の受けとめられ方

あなたが通いつづけたい対象が山なら、ほとんどモンダイはない。噴火でもしないかぎりは山はいつまでもそこにあり続け、登れなくなるということはない。日本人の多くは山登りに神話のようなイメージを抱いているので、クマがどれだけ住んでいようと登山道が通行止めになることはないし、大水で道がなくなってもすぐに復旧する。かれらにとって山登りはどこか「崇高」な行動であるらしい。

川は、ちがう。釣りをする者はなぜかグータラな「道楽者」だとひとから判断される傾向にあり、伝統的に農業地域ではこれがとくに顕著である。しかもフライで釣った獲物【食べ物】をリリースしてしまうのだから、どこかが狂ってるとすら思われているかもしれない。日本では、川で遊ぶ者にリスペクトはない。崇高さなど感じない。むしろ「修行の道」から外れている、と受けとめられているようだ。

山に登るひとがなにも生みださなくても、基本的にかれらの行動は愚かなことだとはみなされない。登山で何人死のうが、登山というものをやめよう、ということにはならない。川で釣り人が死ぬと、川には近づかないようにしましょう、ということになる。このちがいは、そのフィールドに【リスペクト】があるかないかによるものだとぼくは思う。ただ単に。

山にアタックするものは挑戦者として崇められ、川で遊んでいるものは道楽者とさげすまれる。なんという理不尽。使う言葉からして山系はちがうものね。「アタック」とか「初登頂」、「単独行」とか。「制覇」という言葉に似たおおげさなカラーがある。

相撲の四股名(しこな)に「川」がつく名前がなくなったのも、きっとこのさげすみのこころがバックにあるのだとぼくは思う。「山」や「海」はいいのだ、高かったり深かったりしてどっか崇高深遠なんだから。でも「川」は低いところ目指して流れてるだけでリスペクトできない、ダメだ。そういう思考回路が働いたんじゃないか、そんな気がする。ぼくの記憶に残る最後の「川」がつく力士は若瀬川。ずいぶん昔のことだ。同じ理由で「谷」もダメだ。へこんでるだけだから。明歩谷(みょうぶだに)が最後かな。

川は、今の日本人にとってつかみどころのない、どうでもいい存在にすぎない。なぜなら、川は山とちがって「モノ」ではないからだ。川は、水と川底、岸辺、植物や生物、空気でできている複合体であり、硬いモノによって構成されているわけではない。穴とか空洞、ミゾみたいなものだ。

「川は小さな地球」という言い方ができるかもしれない。構成しているさまざまなモノが影響しあってうねうね動いている、そんな感じ。でも、これというメインのモノは地球にも川にもない。いろんなものでできた入れものといってもいいし、全体としてひとつの生きものである、と言ってもいい。

◇魚の付き場

不安と期待を胸に、川に近づく。重機の音は聞こえない。川岸に変化はない。ぼくは安堵する。でもまだ油断はできない。上流で大規模な工事が行われ、魚が消えたかもしれない。

直十(c)★きのう釣った野生虹鱒。35センチくらい。ずいぶんな引きで、姿を見るまではもっと大きいのかと思っていた。背中が盛り上がった、いい体型。「幅広」というやつですね。

……いつも魚が出るポイントで、いつもと変わらず、魚が出てくれる。良かった、ほんとに。

魚が付くポイントには法則がある。流れの速さ、水の色、水深、ポイントの形状、隠れ家があること、底のカタチと石の種類、おおいかぶさる木々などの「ひさし」があること。虹鱒が付く場所と雨鱒が付く場所はちがうが、魚が志向しているのはただひとつ、「安楽に暮らせる場所」だ。

北海道、道東の川なら、倒木が川の中に横たわっているポイントは有望だ。上流側であれ下流側であれ支流の流れ込みがすぐ近くにあって、倒木の下が深くえぐれているのならかなりの確率で魚が付いている。こんなポイントでは上流側からフライを流して逆引きをくりかえすと、たまらない!という感じで魚が出てくる。

上流からフライを流して魚を誘う場合は、合わせ(竿を立てて魚に針をかけること)にコツがいる。魚が出た場合、いったん竿を寝かせてフライを送りこむようにしたのちに竿を立ててガッチリ針がかりさせる。最初から竿を立てると針がかりが浅くなってしまい、かなりの確率で逃げられることになる。大物はだいぶ送りこんでからでもフライを離さないので、あわてなくていい。とはいえ、水しぶきを派手にあげて出られたり、大きなジャンプとともに出られたり(速い流れでの逆引きではよくある出方)すると、驚いてしまって手が動いてしまうことがよくある。落ちついて、とりあえず、落ちついて。そう心がける以外にない。

こんなときは、あっさりと出会えないものはむしろ出会わなくていいものである、という呪文を三度唱えるといい。

……今年も野生に出会えた。でも、この出会いがいつ途切れても、なんの不思議もない。明日は会えないかもしれない。川が、魚がいとおしくなる。

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