ぼくの【衣食住足】

ぼくの【衣食住足】

「衣食住」という言葉がある。暮らしの基本、みたいな意味で使われる言葉だ。

ぼくが住んでいる北海道の南オホーツクでは、公共交通での移動はとても不便で、自家用車がないと仕事にも遊びにも事実上行けない。生活必需品と言ってもいい「足」である。

だから衣食住に「足」をプラスして「衣食住足」(いしょくじゅうそく)という言葉を作ってみた。

【「衣」について 】

今のぼくは、ほとんどセカンドハンド(中古品)しか使わない。上着もジーンズも靴もリサイクルショップでしか買わない。勤め人ではないのでスーツを着る必要がないということもある。

新品の衣服は高価だし、ぼくには流行しているファッションを追う気はまったくない。ジーンズなんかはエイジング済みの古着に限る。

新品で買うのは下着と靴下、長靴くらいのもの。つまり、消耗スピードの速いアイテムに限っては新品で手に入れている。

真冬用の上着は、10年以上前に中古で買ったダウンジャケットでまにあっている。当地、北海道、南オホーツクでは冬の外出はほとんどクルマによるので、上着はありあわせのものでいい。なぜなら、繁華街を歩く、という行為をしない(そもそも繁華街というものが周囲100キロ内に存在しない。釧路まで行けばあるかもしれないが遠すぎてめったに行かない)からだ。当地では、着かざっても歩く場所がない。

春と秋の上着はフリースを着ている。フリースなら自宅で洗濯ができるので実用的だ。最近はユニクロでも量販店でもあまり見かけなくなってきたが、どうしてだろう。

というわけで、ぼくとつれあいは衣類や靴にほとんどお金を使わない。月にならしたら3000円も使わないんじゃないだろうか。

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【「食」について 】

一回のスーパーでのまとめ買いで1万円くらいになり、それがだいたい月に4回から5回。5回だとして月5万円。

このなかには酒類も入っている。第三のビールは最近「クリアアサヒ」、焼酎は「グランブルー」、ウイスキーなら「Teacher’s」、スピリッツ類は夏に飲みたくなるウオッカとジン、ラム。日本酒は冬だけ。いずれも厳選した安くてうまい酒を買う。

旬の野菜は、家庭菜園をやってる近所のひとからけっこうもらえる。以前は、ぼくの家の庭で作ろうとしたこともあったのだが、すぐ虫にやられるのがいやになってあきらめた。農薬を使えば防虫はできるが、それだったら、近所の野菜作りの達人からわけてもらうほうがいい。こういうひとたちは「作るのが趣味」なので、自分たちで食べきれないくらい作るのが普通。よろこんで分けてくれる。もちろん無料。

お米は北海道産の「ななつぼし」が安くておいしい。10キロで3500円くらいだが、食味はかなりいい。「あきたこまち」と同等かそれ以上に感じられる。どこかのコシヒカリよりずっとおいしい。

ウチでは7分づきの麦を米1合につきひとサジ入れて土鍋で炊く。水加減は鍋に入れた伏せた手の小指が隠れるくらいで、3合なら20分、2合なら18分で火を止め15分蒸らしてできあがり。とても簡単でおいしいので炊飯器はここ何年も使ってない。

海産物は斜里ならエーコープや地元のスーパーにいいものが入る。網走なら「ベーシック」というスーパーがいい。オホーツクの海産物はとても豊かだ。流入している河川が良いのだと思う。流氷も栄養分を運んでくるし。

鶏肉は「ホワイトチキン」というブロイラーが網走にあり、よく利用する。豚肉や牛肉も北海道産のものしか買わない…

とここまで書いてきたら、ああ、食料自給率はとても高いじゃないか。北海道産のものでほとんど済んでいる。外国産のものは麺類で小麦を消費するくらい。うちではパン食をやらないというのも大きい。パンに使う小麦はほとんど輸入ものだ。

パンは米にくらべたら圧倒的にコストが高くて、すぐ腹が減る。食後に血糖値の増減が激しくなるので、ぼくの場合は貧血のような症状が出てフラフラになったりして具合が悪い。

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【「住」について 】

今ぼくは町営住宅に住んでいて、別項でも書いたけど、今の家賃は月3000円にすぎない。

町営住宅の安さには驚きます
ぼくが今住んでいる町営住宅について。 昭和47年ころに建てられたもので、平屋、四戸で一棟。集合煙突(ストーブの排気のためのもの)付き。それがニ棟並んでいます。壁は、構造体としてはコンクリ......

この家賃は低所得者向けの「減免措置」というものが適用になっているからの価格であって、本来なら収入に応じて5000円台から8000円台の物件。

築40年超でこの家賃だったら、どんだけオンボロだと思うでしょう? ごもっとも。

でも、わりと広い2DK(6畳+6畳+4.5畳)で、二部屋は簡易フローリング。畳敷の部屋はない。トイレは真新しい暖房便座の付いた水洗。

サッシは二重で、内側のサッシは、なんにも言わないのに数年前にアルミの新品に取り替えてくれた。

給湯設備は付属していないので、入居時に自前で取りつけた。とはいってもキッチンで湯が使え、風呂場でシャワーが使えるだけ。もらってきた浴槽があるが、風呂にはもう何年も入ったことはない。ちゃんとした風呂に入りたいときは日帰り入浴にでかける。

給湯設備関係の出費が約10万円。故障もなく、もう10年近く使ってるから年で1万円、月割りで830円くらいか。

そのぶんを足しても月4000円までいかない。これに水道光熱費が約13000円で合計17000円。

水道代は本州とくらべたら圧倒的に高い。倍近い。受益者の人数のわりに水道管の総延長距離が長いからこうなるのだとは思うのだが、最初はびっくりしたものだ。ウチでは上下水道合わせて月4000円ほどかかっている。

でも、水道水はおいしい。摩周湖近くの湧水が水源なので、ほとんどミネラルウォーター。塩素臭はぼくには感じられない。清里町ではこの水道水をペットボトルに入れたものを販売している。水道水を売るのかよ!と最初は思ったが、うまい水なので、まあ納得できる。

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【「足」について 】

徒歩以外の移動にはお金がかかる。クルマやバイクにまつわる経費はけっこうな額になる。車両本体はもちろん、ガソリンやオイル、車検に保険、税金…

クルマは軽自動車がもっともコスパがいい。タイヤや税金なども安上がりだ。クルマを趣味にするのなら別だが、単なる「足」にお金をかける意味はない。

ウチでは廃棄木材で薪を作っているので、材料を運ぶのに軽のワンボックスは最適だ。軽トラのほうがいいという意見もあるが、ワンボックスなら雨に強いし、完全なフルフラットになるので非常時の車中泊も可能。つまりは融通がきく。この用途には4ナンバーの「貨物」がぴったり。

ウチでは古いホンダ・アクティを使っている。前輪がフロントシートの下にあるのでホイールベースが短く、小回りがきく。林道でのUターンも楽々こなせる。最近ドアとボディのすきまから雨漏りするようになってきたのが困りものだ。

釣りに車中泊で行くときは乗用のワンボックス軽がいい。ウチではこの用途に古いホンダ・バモスを使っている。ホイールベースが長いので乗り心地はまずまずだし、ターボなので瞬発力もある。リアとサイドのガラスが色付きなので、目隠しのカーテンを省くことができるのも車中泊に向いている。車幅が狭いので、釣り場への細い道にもズンズン入って行けるのもいい。

バモスは今16万キロ弱だがターボユニットをリビルト品に交換したばかりなので、あと10万キロは乗れるんじゃないかと踏んでいる。

ホンダ・バモスを眺めていると、ホンダ・ステップバンを思いだす。ぼくが四輪の免許を取って最初に手に入れたのがオンボロのこのクルマ。排気量360CCの二気筒で、よく片方のシリンダーが爆発しなくなったものだった。そのデザインは、バモスのデザイナーの元ネタになったと思われるものだ。短いノーズがあるところとか、よく似ている。

ひとりで釣りや仕事にでかけるときはスクーターを使う。23年前のホンダ・スペイシー125で機関良好、フルスクリーンが付いている。雨に強く、なんたって燃費がいい。リッター40キロ以上走るので気軽にあちこちでかけられる。今4万キロちょっとだが、タイヤを新しくしたばかりなのでまだまだ乗るつもり。ガソリンタンクが小さいので予備のタンクが安く手に入ればいいのだが。

というわけで、足はみなホンダばかり。南オホーツクではホンダのショップが強いのである。

車検制度というものが日本にはある。2年に一度なので、ある年とない年では出費が大きく違う。

車検といっても、半分は税金。税は「贅沢品」を持つお金持ちから徴収すべきだと思うのだが、当地ではクルマ以外の移動手段が実質上存在しない、つまりクルマはみんなの「必需品」であるのに、税金を払わなくてはいけない。これ、税制として基本的におかしくありませんか? 

ガソリン代はならすと月に1万円くらい×12か月で12万円。車検は一台あたり8万円くらい×2台で16万円だが、2年に一度なので1年あたり8万円。毎年一度払う軽自動車税が乗用で12000円、貨物で7000円。バイクが4000円。

ぜんぶ足して223000円。そのほかになにかと修理代がかかるので、ざっくり25万円くらい÷12か月で、月20800円ほど。

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【 ざっくりひと月10万円 】

というわけで、「衣食住足」をぜんぶ足すと約90800円。

これに電話(固定と携帯が一台ずつ)などの通信費が月5000円くらいかかり、健康保険料や年金(今のぼくは所得が少ないので【全額免除】になっている)もあるので約10万円で二人が一か月暮らせていることになる。

ちなみに、ウチではテレビと新聞は見ない。本は、ほぼすべて図書館から借りる。ネットの接続経費は、サーバーを持ってる知りあいの仕事を引き受けることでバーター(相殺)となり、ゼロ円。暖房費は薪を廃棄材木から作るのでゼロ円。

出先で食事をとるときは、でかける目的地にもよるが、できれば弁当を用意して、外食はできるだけしないことにしている。中元や歳暮はこちらからはおこなわない。でも、送られてくる品には返礼をする。

クレジットカードは使わない。ぜんぶ現金で買物をする。お金がないときはモノを買わない。ローンを組んで買い物をすることは一切ない。

たまには温泉に泊まってゆっくりしたい。そんなときは「ゆこゆこ」というエージェントを利用する。会員(無料)になるとふた月に一度くらいのペースで平日の格安プランが多く載っている冊子が送られてくる。これを熟読して、観光客の少ないシーズンオフをねらって予約する。北海道道東なら紅葉の終わった11月や流氷が去ってしまった3月4月あたりが狙い目。ひとり7000円くらいのプランでも、飲み放題がセットになっていたりして、大きな満足を得られることもある。

ぼくの今の衣食住足はこんなところだ。コンパクトでしょ?

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【 うっとりしながら死んでいくために 】

ぼくには、なにかをガマンしているという感じはない。やりたいことはちゃんとやっている。

本当に必要なものを手に入れるのに躊躇はないけれど、趣味のモノに対する物欲はない。たとえば、腕時計などまったく欲しいとは思わない。時刻はいつも持ち歩くコンパクトデジカメで見れるので、腕時計は重いだけだ。

バンブーロッドやビンテージリールなども、べつに所有したいとは思わない。そういったヘビーなモノを所有すれば、そのモノに振り回される人生になってしまう。むかしルノーやハーレーやペゾンミッシェルやタグホイヤーに振り回されたので懲りている。

家とか土地も自分のものが欲しいとは思わない。

家は「人間集団の入れ物」なので、同居人同士が仲良くないとなんの意味もない。仲良しがずうっとそのまま仲良しのままでいる保証などどこにもない。人間関係が破綻したグループは解散するしかない。そのとき、所有していた家はどう処分する? これはかなりめんどくさいことになるのが目に見えている。

土地など、そもそも誰のものでもない。しいて言えば「生き物みんなのもの」だ。人間の個人や法人が所有するなど、概念としておかしい。地球から借りているだけだ。

どっちみち、不動産は固定資産税を払わなければ差し押さえられて、自分のものではなくなる。それは、そもそも「自分のものではない」ということを意味するのではないか。

けれど、「道具」として土地を所有するのはアリだと思う。好きなことに使う土地をだれも貸してくれなかったり、借りている土地を自分の好きなように改変できないのなら、所有して好きなように使えるようにするのはプランとしてはいい。でも、目標にするようなものではない。

不動産を取得するために働く時間はものすごく長くなるが、不動産の所有をあきらめれば、そのぶんのお金や時間を違うことに使える。たとえば自分の楽しみのために。そのほうが人生豊かなんじゃないか。

家を買うのにローンを組んだりしたら、嫌な仕事でもやめるわけにいかなくなる。何十年も家のための奴隷になるのは辛いことだ。しかもローンが終わったころには、その家は大規模な補修をする必要があるくらい傷んでいる。売ろうにも、住宅の資産価値はそのころにはゼロになっている。土地の値段は下がり続ける。

ぼくはこちらに越してきてから、町営住宅に住んで、家や土地を所有することなく楽しく暮らし、そして死んでいくひとたちを見てきた。

町営住宅に住み、年老いたひとたちは、老人保健施設に入るパターンが多い。町営住宅は業者が片づけて、おしまい。不動産がないので相続ではなにもモメない。

町営住宅に一人暮らしで身寄りがないひとが死ぬと、役場の福祉関係の部所のひとがみな後始末をしてくれる。こういったひとの場合はたいてい葬儀は行わず、遺骨は町内のお寺に共同埋葬しておしまい。財産の処理をどうするのかは不明だが、経費を除いた余りは「寄付」みたいなかたちで処分するのだと思う。なんのあとくされもない、きれいな、いなくなり方だ。ぼくもこのようにあっさりといなくなりたい。

衣食住足に少ないお金しか必要ないということは、ほかのことに時間やお金を先行投資できる、ということでもある。そうすれば好きな分野に深く分け入ることができるから、生きるのに最低限必要なお金を生みだすのに四苦八苦しているひとたちにくらべたら、なにかを生みだす可能性がある。つまり、だれでも「クリエイティブ」になれるということだ。

これがたとえば基本的にコストの大きな暮らし方をしていたら、こうはいかない。必要経費を稼ぐだけで疲れ果ててしまって、「好き」を育てることはできない。そんな余裕はない。

定年後にやっと「好き」を育て始めても、ものになったころには年老いてしまっていることになる。だから、はじめるのなら、はやいほどいい。

大きな「好き」はいろんなものを生みだすチカラになる。でも、最初から大きいわけではない。小さな「好き」を大きなものに育てていくには、長い時間をかけて、いい栄養を与えていくことだ。いい見返りがすこしあれば続けられる。

そのためには、幻で消費をあおるだけの広告から目をそむけ、自分がほんとうに必要としているものを見極めていく。死にぎわに笑みを浮かべうっとりしながら死んでいくのに、自分は何をやっておけばそうなれるのかを考えてみるといい。

たくさんのお金が稼げなかったといって、うっとりできない(だろうと思う)ひとは、お金を稼ぐ勉強をしていけばいい。あちこち旅に出なかったといって後悔しそうなら、今の状況をなんとかして捨てて旅に出よう。

自分がやりたいことをガマンして誰かのために尽くしても、尽くされた相手はそれを当たり前のことだと思っているかもしれない。あなたに、なんの感謝もしていないかもしれない。一度疑ってみたほうがいい。

だから、そんなあてどないガマンをやめて、「好き」を育てていこう。うっとりと死んでいくために。

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