北海道に手付かずの自然は……ない

北海道に手付かずの自然は……ない

pixel2013 / Pixabay

北海道の漠然としたイメージとして、「自然が豊かだ」とか「手付かずの原野や森が残っている」などというものがある。

でも、そんなものはどこにもない。

湿原以外の平らな部分は(少々の斜面であっても)みな、一度は畑や牧草地として使われている。耕作放棄地はけっこうあるが、それは北オホーツクや道北に限られていて、ぼくの住む南オホーツクではあまり見かけない。

緑色の広大な畑を見て「大自然が豊かだ!」などと叫ぶシーンが、映画「幸せの黄色いハンカチ」にあるが、もちろん畑は自然のものではない。それはゴルフ場の芝生を見て「自然が豊かだ」というのに似て、明確な事実誤認。すべては人工物である。しかも、有毒な除草剤や農薬はかなりの頻度で散布されるのが普通なので、畑の近くでは深呼吸もできない。

ぼくが以前手伝っていた農家の畑のキワに生えてくるクローバーは、四葉の頻度が異常に高かった。あっちこっちに四葉のクローバーが簡単にみつかるのである。あれはきっと農薬による遺伝子異常だとぼくはにらんでいる。当然、人間にも悪いだろう。

ふりかえって山に入ってみれば、伐採を何度かくりかえした人工林ばかり。まったく人の手が入ったことのない森には、まず出会えない。なぜなら、森に入るアクセス路として林道を使う場合、林道の本来の目的である伐採と植林がなされていないはずがないからだ。

しかもこういった林業の森には「殺鼠剤(毒入りヒマワリの種など)」というものを定期的に撒くので、ネズミだけでなくリス類も死に絶えるのが普通だ。だから、森では、かわいいシマリスやエゾリスにはまず出会えない。彼らと確実に出会えるのは、都市部の林の多い公園くらい。帯広動物園の近くの公園にはエゾリスがウロウロしている。

簡単にアクセスできて、しかも太い樹が残っているのは阿寒の前田一歩園財団が管理する森や屈斜路湖の和琴半島の森くらい。知床半島でも、羆のテリトリーをくぐるような登山道を延々と歩けば巨木に出会えるのかもしれないが、ぼくにはそのような趣味はない。

そもそも、登山道を何時間も歩かなくては出会えない森にいくら巨木が残っていたとしても、ぼくがそこまで簡単に行けないのなら、それは「ない」のと同じだ。その点、屋久島の森は、アクセスが容易なポイントに巨木が多く残っていて驚いたものだ。

前田正名(前田一歩園設立者)が言ったように、伐るための森ではなく見るための森を多く残していかなければ、人間の暮らしは貧しいものになる。営みをお金につなげることは大切だけれど、豊かさの意味はそれだけではないだろう。

街なかに公園を作るのもけっこうだが、山で人の手を遠ざけさえすれば素晴らしい「公園」が自然にできあがってしまうのだから、こういう自然にできてしまう公園を作っていけばいいのにな、とぼくは思う。道路を管理する以外のなんの予算もいらない。ただ自然を信頼して放置すればいい。それだけで、100年後には素晴らしい「森林公園」ができるのだが。