知床工房酒辞典

焼酎架け橋ドットコム

銘酒の四方山話

鹿児島焼酎を通して素晴らしい出会いがありました。

それは霧島の山奥での蔵元見学の時でした。酒屋を取り巻く厳しい環境の中、

自ら課題を課して、マイナス×マイナスを掛け合わせ見事プラスに仕立て上げた社長の物語を

聞かされ、またそれを体現した焼酎をティスティングしたときに、そのことが本物で

あると感じました。失礼ではありますが斜陽の田舎の酒屋が、他地域の酒屋のために焼酎を卸売りをするため

業界で淘汰が起きている酒類卸売り販売会社を設立し、さらに蔵元を買い取った勇気と行動力に敬服いたしました。

自ら課題を課してそれを克服していった社長の努力は相当なものであり、とても定説では考えられないことでした。

もうひとつは蔵元として酒づくりに対して常に真摯であり、一つ一つを大切にしていて、それは蔵人にも浸透していて

ティスティングさせていただいた焼きいも焼酎「農家の嫁」紫いも熟成古酒はまさに絶品でした。

思わず「リーズナブル」と感じたのですがお値打ちというよりも、むしろ正当性があると思いました。

その人の名は「古谷芳高社長」  蔵元は「明るい農村」を醸し出している「霧島町醸造所」

心意気に乾杯

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「花のお江戸は酒屋の盛り

銘酒の四方山話

「花のお江戸は酒屋の盛り」
国中あげて実権争奪戦を繰り広げた戦乱の世は、家康によって、江戸幕府を中心とする封建統一国家として安定した。これにより元禄泰平という平和な時期がやってくると、人々は、芝居見物に興じ、銀キセルで煙草を吸うなど、贅沢な生活を楽しむようになる。酒屋の酒がますます発展する基盤が作られ、需要は濁り酒よりも清酒が多くなっていった。酒造りの技術も発達し「本朝食鑑」に記載されているように、伊丹、池田などの上方の酒の本場では三回に分けて仕込む三段仕込みの醸造が一般化されたのも、この時期である。また四季を通して造られていた酒の中でも、寒造りの醸法が一番優れているとされ、さらには「西鶴織留」にもあるように「米」や「水」にも細心の注意が払われていくようになりました。町民の暮らしが贅沢になり、酒屋の酒が栄えるとともに、居酒屋が繁盛し、花柳界が花盛りとかります。いつの世にも酒の上の狂乱は絶えず、当時の江戸幕府もこれらに対してお触れを幾度ととなくかかげていたのでしたが、酒好きが酒を断つというのは想像以上につらいものとみえ、切実な川柳が詠まれております。「此頃禁酒、死んだ同然 禁酒してみれば興無し雪月花」と。 お酒万歳

「21世紀の酒の姿」

銘酒の四方山話

「21世紀の酒の姿」
人の技とは何か、技術の進歩とは何か、それを問い掛けてみると時間の経過とともに文化の集積であったはずです。それが機械化の目まぐるしい進歩のもと清酒そのものの性格を画一化する方向に巨大な作用を与えました。それは清酒そのものが文明の酒に脱皮した瞬間でした。昭和35年、清酒製造の免許場数は4600場を数えるほどでした。その後、量的拡大したにもかかわらず2500場以上も減少いたしました。つまり地方の手造りの酒屋が淘汰され、地方文化が衰退したことを意味しております。技術と情報の進歩が産地の異なる多様性を否定し、醸造技術の画一化、酒質の均一化を促したあと、装置化された清酒はやがてシェア争いのもと低価格競争に走り、品質の劣化を招き、やがて次世代の若者達の清酒離れに拍車をかけてしまいました。低価格であるということは「おいしさ」に目をつぶるということです。おいしくなければいずれ飲み手は清酒から離れていくでしょう。そして工業化が進めば進むほど感銘の深さを通じる「おいしさ」の復権は遠のいていきます。われわれは酒の道しるべとして「水よりも旨い酒」もしくは「酒としてより感銘の深い酒」この2つの価値観を大切にいきたいと思います。

「人酒を飲み 酒人を飲み 酒酒を飲む」

銘酒の四方山話

「人酒を飲み 酒人を飲み 酒酒を飲む」
日本の日本酒、中国老酒、イギリスのウイスキー、ドイツのビール、フランスのワイン、ロシアのウオッカ、オランダのジン、メキシコのテキーラ、世界の国々に特産される酒類は、その国独自のものであり、民族意識のひとつとして、それぞれの国の国民は自国の酒に無限の誇りと憧れをもって接してきました。また、民族特有の酒をもつという事は、その民族の歴史の古さと優れた酒文化を持つ事に通じるものであり、各国の酒にはそれぞれに民族文化の匂いが濃く感じられます。酒は「百薬の長」という一方、「万病のもと」ともいわれ、「天の美禄」と称えれば、「狂い水」とけなされます。果たして酒はよいものか、悪いものか、迷ってしまいます。でも本当に悪いものであったら、人間社会にこれほどまで永年にわたって親しまれ、さまざまな文化を創造してくれるはずがありません。日本人は、米の酒・日本酒をその誕生から今日まで、かけがえのない嗜好物として愛し続けてきました。しかしながら、多くの人達は、この素晴らしい日本酒について、その生い立ちやどのように造られるかなど、あまり理解していないのも事実です。酒の心とその本体を知る事なく、単に生理的な酔いの快楽を求めるに過ぎないのであれば、これほど侘びしい事はありません。ですから、先達は「人酒を飲み、酒人を飲み酒酒を飲む」などといった皮肉的な名言を残していったのかもしれません。健康的で楽しい酒飲みになるためには、酒そのものを知ることもまた大切な事なのです。これは酒を知ることにより、酒の心を理解する事に通じ、そこからの酒の正体を知れば、おのずと酒の素晴らしさを賞賛でき、同時に酒の恐ろしさについても警戒する事が出来るからです。

おいしい酒に巡りあうことは幸せなこと

銘酒の四方山話

おいしい酒に巡りあうことは幸せなこと
価値と価格の優劣がおきています。残念ながら価値よりも価格の指向が強くなってきています。その中でも、コミュニケーションのサポート役として、ライフスタイルの一端として、おいしいお酒が一役買っていくだろうと予測されます。
それには酒質の向上が必要不可欠であります。安売りのパック酒が諸悪の根源とは言い切れませんが、よりおいしいお酒は、多くの場面を創出する可能性を秘めています。食文化との相関関係は、その行動そのものの質を高めていくことと確信いたします。このことは将来おこりうる、全世界への日本酒発信につながっていくからだと思うのです。

「酒と戦国時代の武将達」

銘酒の四方山話

「酒と戦国時代の武将達」
「上杉謙信」 武田信玄の女性関係が華やかであったのに対して、謙信は生涯妻を迎えなかったほどの無粋であり、道徳的で純情な武将といわれていた。そのかわり酒はよく飲み、戦国の武将の中でも名だたる酒豪であった。あるときは画工を呼び、朱塗りの大盃と独鈷の絵を描かせて、興じていた。辞世の句も「四十九年夢中酔、一生栄花一杯酒」その死因もまた脳卒中であり、織田信長との対戦を控え、出陣の準備を整えていた時のことである。
「織田信長」信長の酒は、戦国武将を代表するような豪快なものであったが、時にはその豪快さが行き過ぎた体もある。天正2年の元日に、年賀の客が帰ったあと、近習の者たちを集めての二次会に、古今にも珍しい酒の肴があるといって朝倉義景,浅井長政、久政らの首を据え、これを眺めながら大いに飲み、謡いをうたったいう恐ろしい話も残っている。

「酒はいつも時代もそばにいた」 

銘酒の四方山話

「酒はいつも時代もそばにいた」                                       「維新から近代へ、酒もまためぐり、社会の変化とともに酒の酔い方も変わっていった」幕末。 元禄の世は、江戸ばかりではなく地方の町民を繁栄させ、農村の中にも在郷商人と呼ばれるものを生み、庶民にゆとりを与えた。しかし、そのために庶民が富を蓄え、文武を身につけ、各地で指導者的な地位を築き上げて、やがては幕府の庇護から漏れた下級武士たちと結束し、倒幕という社会大改革にいたる底力となっていきました。維新を目前とする十年間のうちに、酒は二倍以上の値上がりをしました。このインフレによって傘張り浪人が続出し、毎日どこかで農民一揆が起こり「米よこせ」の叫び声とともに各地の蔵が襲われ、酒屋にもその波は押し寄せていきました。
他方、政治の貧困を痛感し倒幕維新を目指す若者たちは、連夜のように酒楼や料亭に集まり、志のために命をかけることを決して、酒に酔い、天下国家を論じたのであります。坂本竜馬が足げく出入りした旅館「寺田屋」も同じく「池田屋」もその舞台となっていたのであります。竜馬ら勤皇の志士を仇とする新撰組の人々も、やはりよく酒を飲み、酔っては気勢をあげ、国家の異変に立ち向かったたのでしょう。このように、酒はかつて神事に起用され、労働の活力となり、人々の心を結び、時には争いや怠情を呼び起こし、または緊迫した社会下の人々の心を和らげ、勇気を奮い立たせてきたのです。しかしながら、社会は酒と共にあり、社会の状況が、酒の酔い方、味わい方を変えていったのです。私は楽しい酒なら、大歓迎ですが。

 伝えるすべがある。酒屋の酒しらず

銘酒の四方山話

伝えるすべがある。酒屋の酒しらず

今の消費者の感覚は素晴らしい。とくにマニアの味覚にはよくよく感心いたしますし、私共もさらなる賞味の食指を広げなくてはいけないと思います。よく聞かれるのがどこどこの地方の○○の酒がうまいのだけれど、知っているかい、または入手できるのかいと。そのとき私共は思わずNOと答えているのです。ただ断るだけではなくその時に、酒のプロであるはずの酒屋よりも、消費者の方がいろいろな酒に出遭う機会が多いということに気がつくのです。
たとえ味覚に対する感覚がすぐれていても、酒の一般知識が多少あったとしても、数多くの機会に楽しく、おいしく飲んでいる人にはかなわないということだと思います。よくティスティングをするときに、自分なりにテイスト価格を出します。
そしてそれより安ければお値打ち、高ければ以後取り扱わないという判断をしてしまいます。
がしかし、新しいお酒の新しい感覚を享受していかなければならない時期にきているのでしょう。
「酒屋の酒知らず」は自戒の念をもって、今後鋭意努力しなければならない警告なのかもしれません

しぼりたて「新酒」と熟成「古酒」のお話・パート1

銘酒の四方山話

しぼりたて「新酒」と熟成「古酒」のお話・パート1
小さな蔵元の日本酒づくりは、寒造りといわれ十月頃から精米を始めて、蔵の中で麹菌と酵母の絶妙な平行復醗酵により、世界に冠たる伝統の酒が造られるのです。固形質のお米が見事にアルコールを含んだ液体に変わっていきます。約1か月のもろみ期間を過ぎて、最後に圧搾り機械でしぼられ、酒と粕に分かれて、殺菌処理をした後、いよいよ瓶詰めされていきます。この間、一定期間の熟成がされるわけですが、その時に飲むと「新酒ばな」という香気を漂わせます。一見、炭酸を含んでいるかのようなバチバチとした爽快な飲み口が特徴で、そののど越しも固さが感じられ、刺激的なものが多く見受けられます。人間の体にたとえると、まだ二十歳前の伸び盛りで、ピョンピョン飛び跳ねているような感じです。どちらかというと冷やして飲んだほうが、飲み口が爽快な分だけ自然に楽しめるでしょう。また開栓後、長期間おいておくと品質が変化しやすい為、大量に嗜む酒徒でない方は、720mlか300mlの小瓶をお奨めいたします。最近では蔵元の冷蔵施設が整い2年、3年と寝かせた純米酒や吟醸酒が目に付くようになりました。日本酒のヴィンテージファン(年度ごとに酒を集めたり、嗜む)も少しずつですが年々増えています。高品質なお酒は貯蔵中に芳香がしっかりと落ち着くものが多く、熟成された味わいは喉越しのまろやかさも相成って、実に優雅です。

「おいしい冷酒の飲み方アラカルト」

銘酒の四方山話

「おいしい冷酒の飲み方アラカルト」
“生酒”は何といっても冷やして飲むのが鉄則。これはフレッシュさを味わうための大前提なのです。冷蔵庫で冷やしたグラスに注ぐ・・・。ひんやりした感触はいっそう風味を引き立てます。湿度は5度から10度位まで。ストレートで飲むのがポピュラーな楽しみ方ですが、あまり酒に強くない方はオンザロックでも十分においしく飲めるはずです。生酒の新鮮な香りと日本酒独特の優雅な甘味が、冷たさとよく調和いたします。”原酒”(アルコール度数の高い)タイプの生酒なら水割りというのもいいでしょう。ミネラルウォーターで割り、レモンを添えた生酒のはなやかなのどごしはなかなかオツなものです。生酒を冷凍庫に入れて、シャーベットにして楽しむのもオシャレ。はなやかな舌触りと芳醇なこくが、冷たさの中でひときわさえて感じます。
“吟醸酒”の「吟香」を味わうには、冷やしたグラスに注ぎ、お酒の温度は10度から15度が一番いいようです。香りがたち、口当たりもよく、上品な華やぎに酔うことができます。あまり冷えすぎていても香りがたちません。適温で高貴な香りと味わいを楽しんでください。いろいろな飲み方が楽しめるのも、冷酒ならではのもの。食べ合わせでは新鮮な魚介類との取り合わせが最適。皆さんも自分流の生酒をアレンジしてはいかがでしょうか。
当店では生酒を冷蔵庫に保管して販売しております。冷蔵庫で長期間瓶塾されたお酒はのどごしがまろやかになって至福の瞬間を体感できます。

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