山繭蛾
2011年06月06日

毎年この時期にやって来る夜の訪問者、まるで大魔王という風体ですが今年も無事この季節を迎えたことのホッとしたような心持ちにしてくれる使者でもあります。庭は春爛漫、寒い日が多くゆっくりとでも着実に駆け足で春から初夏に向かって何もかも一時に。

芝桜公園
2011年06月02日

芝桜公園も6月に入って満開です、今年は寒かったので花の美しさはいまが最高かもしれないです、残念ながら人出は例年の4割減とのこと。

春は其処に
2011年05月05日

五月五日、朝目に飛び込んできたのは一面真っ白な雪景色、それでも春は着実に、すっかり溶けた雪のあとルカと庭を一巡り、枯れ葉の陰にしっかりとチューリップやスイセン、桜草ややちぶきの蕾、クリスマスローズ、エーデルワイスの新芽、レモンバームの香り、植物達は着々と春を迎える準備を。明日は畑の下準備、トマトやオクラやバジルも室内で小さな苗に成長しつつ私の夢を大きく膨らませてくれて、コーヒーの木は人工受粉の甲斐あってたくさん小さな実を付けています。

春は必ずやってくる
2011年04月25日

私の庭にクロッカスが咲き始めました、福寿草も久しぶりのお日様にしっかり手をさしのべるように花開きました、もう春は巡ってこないかと思われるほどの被災地にも桜は咲き誇っていました、ちゃんといつもここにいるよ、見守っているよと囁きかけるように。被災地の方々からも福寿草がお日様に向かって花開くように復興への力強い芽吹きが誘われるように始まりました。

復興へ
2011年04月19日

あの地震と大津波からひと月が過ぎました、あまりにも重く先の見えない胸がふさがるような日々でした、被災した方々の避難所での生活の不自由さ、失われたものの大きさ、たちふさがる壁、乗り越えなくてならない課題の果てしない大きさにもかかわらず立ち上がろうされる姿勢や強さに胸を打たれ、温かく大きな支援の輪の広がりとボランティア活動に参加している方々の優しさと力強い働き、自衛隊や消防、警察の地道な不断の救援、捜索活動には頭が下がり何度熱く嬉しい感動に涙がこぼれ落ちたか、そしてその先にようやく復興への希望の明かりを見ることが出来ました。そんなとき、政府、与野党の相変わらずの姿勢の情けなさ、反省だけなら猿でも出来る、反対だけなら馬鹿でも出来る、自分はこう考える、我が党はこのような方策をと具体的に訴えなくて議会、議論と言えるか、危機感、この状況をどうすれば打開する道筋を付けられるかひとりひとり真剣に考え、具体案を提示すべきだ。

汚染水
2011年04月06日

4月6日ピットからの流出は水ガラスによって止められた、バケツの穴が一つふさがったにすぎない、注水を止められない、冷却材を循環させるポンプなどが稼動するようになっても肝心の原子炉格納容器が破損し底の抜けたバケツ同様、破損箇所も特定出来ない状態では手の打ちようがない、仮に溜まっている高濃度汚染水が6トンであっても注水が続いているかぎりピットから流出しない分むしろ増え続ける、低レベル汚染水を放出した貯留施設、タンカーもたちまち一杯に、終わりのない措置にすぎない。フランスやアメリカの技術をもってしても溶融した核燃料を取り出し可能か否か、さらにその核燃料を冷却などの処理が出来るのか、廃炉以前に計り知れない年月、莫大な費用と避けがたい放射能汚染被害果たして乗り越え終わりを迎えることが出来るのか、世界中が苛立ち注目している

海洋汚染
2011年04月05日

高濃度放射性汚染水の流出はとどまることなく、様々な打つ手も効果なく、更に低レベル汚染水の海への放出、老朽化した原子炉とさらに耐震基準の低い周辺施設の地震よる破損は予想を遥かに上回り壊滅状態、底の抜けたバケツと化した建屋への注水は溶融したMOX燃料が漏出した高濃度汚染水となりその量溜まっているだけで6万トン、すでに流出し続ける汚染水は750万倍もの値を示す30万ベクレル、拡散して薄まるのは流出を止められての話、高いレベルの汚染が広域化し拡大するばかり、IAEAの指摘した地表の放射性物質による汚染も大気放射性物質も 拡散広域化することは続いても消失しない、気象庁が初めて発表したように風向きによってすでに福島以西広域に及んでいる、農業ばかりか漁業、そして日本経済、市民生活にまで計り知れない影響を及ぼし、ひとり日本にとどまらない、水素爆発が引き起こさないことを祈るばかりです。

原発事故
2011年03月27日

放射性物質の漏出は加速度的に高まっています、30キロ圏外に1ミリシーベルトを大きく上回る数値で検出されました、海水からも1250倍以上、タービン建屋内の水には一万倍と、しかし検出された正確な数値は明らかにされていません、スリーマイル島では百三十万キュリーもの放射性気体が放出されたと、今回の原発事故は今や同じ冷却材喪失事故であること、燃料の溶融が進んでいることはおそらく間違いないでしょう、30キロは勿論、自主避難ではなく強制退去を出来れば80キロ圏外へ国がやるべきです、もはや一自治体の判断を超える事態です、牛達を見捨てられないという気持ちは痛いほどわかります、だからこそ事態を避けがたい起こりうる最悪の展望を明らかにして思いを断ち切って、前向きに退去を受け入れられるように将来的補償と支援策、措置すべきです

原発事故
2011年03月25日

原発事故発生から2週間残念ながら重大な被曝犠牲者が、事態はけっして終息に向いているのではなくその道筋さえつけることが出来ないばかりでなく、更に厳しい壁高濃度の放射性物質の漏出が拡大継続しているという事実です、いま起こっている放射能汚染は決してしばらくすれば軽減するような一過性の事態ではない、これから様々なかたちで汚染し続けて被曝の危険性が常態化していくものだと。失われた発電量は経済活動を長期的に停滞させ、復旧への道のりは容易ではないばかりか莫大な財源が必要です、それ以前に事故を終息させ廃炉として安定させ、農業など直接被害を被り続ける方への補償金は計り知れない額になるでしょう。震災で亡くなられた方々の数は私の予想数万を大きく上回って十万を超える勢いです、何故なら医療現場と被災者の置かれている環境、健康状態は遅々として改善しない、被災者の精神的な痛みや不安は日をおくに従い深く強まって、生きる意欲を損ない最悪死へ繋がりかねません、人間は強く、そして弱い存在です。今こそ国の力が必要とされ、試される時です、国民に乗り越え生き抜く希望と力を与えるために。

被災地
2011年03月24日

もう二週間になります、被災地はもとよりその周辺一帯の人々の生活が根底から大きく揺らいでいる、支援の手がおおく差し伸べられ、その輪が力強く広がっているにもかかわらず、被災地の多くは疲弊し、所によってはライフラインはおろか支援物資も十分に届かず、助かった命さえも医療の手が及ばず失われようとしている、いま動いているのは被災地の自治体、被災者自身そして日赤をはじめとする救援団体、ボランティア、自衛隊や消防、警察の人々。国は何をしている、たくさんの救援の手、活動を的確にもっとも有効、円滑に進めるための措置を、起こりうる最悪の事態を見越した時には超法規的に早急の手を打つことが出来るように動いていかないのか。単なるスポークスマン、不安な国民に曖昧なより一層不安を与える指示と後手後手の対策リーダーシップを発揮し国民と国、経済を安定へと導く政治が政策が求められている

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